004.水性ペン










「せんぱぁい、何してんすか?」

間の抜けた声には真剣な表情で振り返り、そっと口の前に人差し指を立ててみせた。
「静かに」の合図。素直な完二は慌てて口を真一文字に噤ぎそろそろとの傍へやってくる。
がひっそりと居場所にしていた英語教室は、いつの間にやら暇潰しや読書や宿題など各々がしたいことを邪魔されずに出来る場として捜査隊(自称)のメンバーがひっきりなしに入り浸るようになっていた。まあ、そうなったのはが「友人たちと切磋琢磨し勉学に励む場として是非借りたい」と真面目な顔をして先生を口説き落として堂々と鍵を拝借できるようになったからなのだけれど。
今日も今日とていつもと同じように暇を持て余した陽介が昨日のバイトがいかにきつかったかなどを愚痴りながらが調理実習で作った菓子をぱくついていたのだが、完二がトイレから帰ってきてみると教室は打って変わって静かである。かといって陽介が帰ったわけでもないようだ。の頭越しに見覚えのある茶髪が跳ねている。

「……ぷ」
「しっ」
「…くく」

思わず笑いが漏れた完二をが制止する。手には真っ赤なインクのペン。
よほど昨日のバイトでくたびれていたのだろうか。陽介は机にもたれて眠っていた。しかも無防備に顔はこちらに向けたまま。まるでが菓子に薬を盛ったかのような熟睡っぷり。
悪戯してくださいと言わんばかりの間抜けな寝顔を見ていて堪らなくなったのだろう。は定番の悪戯の真っ最中であった。
瞼には目。頬には猫のようなヒゲ。額には異様に迫力がある字でジライヤと書かれ、それでも尚すやすやと眠り続ける陽介。
それだけでも完二の笑いの限界はギリギリのところまで来ていたのに、更にが神妙な面持ちで鼻の頭を真っ赤に塗りつぶした挙句、携帯を取り出し写真を撮る。パシャリという機械音がしんとした教室に響いた。
これがトドメだった。

「フ、フフ、クッ、ハハハハハ!」
「ふぇっ!?」
「おっと」

ツボに入った雪子のように大声で笑い始めた完二。これには流石の陽介も目を覚まし、何事かと寝ぼけ眼で辺りを見回す。何か起こっているのは自分の顔面だというのにそれに気付かない本人がまた可笑しくて堪らない。

「ちょ、ふふ、やめろ!その顔、やめ、ハハハ、ハハハハハハハ!」
「へ?」
「男前だよ陽介」
「ん?なんだよ、俺が男前なのはいつものことだろ?」
「やべぇ、コレ、コレ、コレやっべぇ!せ、先輩、ヒヒヒ、後で画像ください」
「忘れた頃に送ったげる」
「画像?」
「ほれ」

こういうときは妙に察しのいいのが陽介という男で、何かに気づいたような表情で渡された鏡を覗き込む。
そして数秒、凍りついた。

「おいぃいいぃいぃいいいぃいい!!てめぇぇえええぇぇええぇえええ!!!」

すぐに半べそをかきながら犯人の名前を叫ぶ。響きは悲痛であったが顔が顔なので全く悲しみが伝わってこない。

「やぁ、いつも通りの男前だね、陽介」
「ぷ、くく…」
「完二てめぇも見てたなら止めろよ!!」
「いや、俺が見た時には…くく…既にもう」
「既に完全体一歩手前だったよね」
「完全体ってなんだよ!ワケわかんねーよ!!ちょ、お前、マジで、何してくれてんの?何してくれてんの?」
「何って言われても…悪戯?」
「何その疑問形!?ちょっとは悪びれろよ!!バカか?バカなのか?」
「その顔でバカって言われてもちょっと…」
「誰のせいだよ!!ふざけんなよ!!!」
「大丈夫だよ。水性ペンだし」
「あ、先輩それ水性じゃないっす。マッキーは油性ペンっす」
「…てへぺろ」
「真顔でてへぺろって言うな!!!」

口論に意味がないと早めに気づくことができた陽介は、すぐさま誰にも見つからないようにトイレに駆け込み必死になって洗ってはみたものの、無茶苦茶に擦った肌が真っ赤になるだけで。

「恨むからな…」

体育のジャージを頭に被り涙ぐみながら捨て台詞を吐いたかと思うと、新手のシャドウかと思うような素早さでその場を走り去った。
翌日、昨日の名残を引きずりながら登校する陽介を見たが(やっと)「流石に可哀想すぎるかな」と思い、3日間苦手科目の宿題を代わりにやると約束し、更に豪華なお弁当まで作ってやったところでようやく陽介は機嫌を直してくれたのであった。






しかし数日後、捜査隊メンバー全員の携帯にこの時の写真が一斉送信されたことは言うまでもない。