殿ー」

日差しが気持ちの良い午後。縁側で空を見ているととたとたと廊下を歩く音。
自分を呼ぶ聞き覚えのある声に、はゆっくりと顔を上げる。

「やあ、半兵衛さん。今日はまた何の用で?」
「もちろん今日も昼寝しに来ただけだよ」
「それは素敵ですねえ。私ももう眠くて、眠くて」

柱にもたれて欠伸を一つすると、後ろから溜め息。
の真後ろ、日が届かない部屋の奥にはこの屋敷の主である官兵衛。
彼は心底呆れたようにこちらを見ている。にこ、と笑ってみても反応すらしない。

「ああ、官兵衛殿。いたの」
「当たり前だ。ここを誰の屋敷だと思っている」
「だって声はおろか物音一つしなかったし。もっと自己アピールしないと生き残れないよ」
「そうですよ。見た目のインパクトだけじゃ食いつなげないっすよ」
「何の話をしているのだ」
「べっつにいー」
「細かいこと気にしてるとハゲますよ官兵衛さん」
、五月蝿いぞ・・・・にしても半兵衛、また昼寝をしにわざわざここまで来たのか」
「うん。ここには昼寝仲間もいるし。ね、殿」
「そうですねえ、半兵衛さん」
「・・・・・・・・・・」

いつものような他愛のない会話をいつものように続け、半兵衛は日当たりの良い場所へ陣取る。
官兵衛はまた溜め息を吐いてから立ち上がった。

「どこへ?」
「厠だ」
「いってらっしゃい」

ひら、とが手を振ると、視線だけで返事が返ってくる。
大の字に寝転がって廊下を占領している半兵衛をいつものようにまたぎ、官兵衛は厠の方へと消えていった。

「ホントに仲良しだね、殿と官兵衛殿は」
「いやいや、半兵衛さんと官兵衛さんだって仲良しですよ」
「・・・・・官兵衛殿って、なんか放っておけないんだよね」
「ああ、わかります」

温かい日差しに目を細めながら、ふらふらと舞う蝶を目で追っている半兵衛。
はそんな半兵衛を、同じように目を細めて眺めていた。

「官兵衛殿って不器用でしょ。変に敵ばっかり作っちゃう」
「そうですよね。見た目も恐いし、喋り方も恐いし」
「そうそう」
「自分から人間関係保とうって気がないから友達もいないし」
「そうそう・・・でも、さ」

半兵衛がむくりと起き上がり、の隣までにじりよる。
少し眠たそうな目が可愛いなと思ったけれど、言えば少し拗ねそうなので何も言わない。

「本当は優しいんだよね、官兵衛殿は」
「ええ・・・・ホント、馬鹿みたいに優しいです」
「やっぱ殿、わかってるうー」
「ふふ」

ぽす、と膝に重量感。半兵衛が頭を預けてきた。
艶のある髪を撫でれば、瞼の開閉が忙しくなる。
人懐っこい猫のようなこの青年。自分が仕える官兵衛のことを理解し、好いていてくれる数少ない人。
は彼がたまらなく大切で、たまらなく好きだ。

「あー・・・・俺、幸せだわあ」
「幸せ、ですか?」
「からかい甲斐のある戦友と、気の合う昼寝仲間に巡り会えて」
「それなら私も幸せですよ」
「ホント?」
「ええ・・・ちょっと気難しい主と、主を理解してくれる昼寝仲間に巡り会えて」

官兵衛は長い間独りだった。少し前のことを思い出す。
拾われたばかりの頃は、彼と言葉を交わしたことなどほとんどなかった。
傍にいたいと思っていた。もっと知りたいと思っていた。
けれど近付けば近付くだけ、彼は自分を遠ざけようとどんどん離れていく。
傭兵と雇い主。求められるのは人ではなく武。
それが正しい関係なのかもしれないと諦めかけた自分がいた。
けれど半兵衛に出会って、三人で戦場に立つようになってから。
官兵衛は、少し変わった。
表情がほんの少し柔らかくなった。
目を見て話してくれることが増えた。
自分の名を呼んでくれるようになった。

「ありがとうございます」
「ん?」
「半兵衛さんのおかげで、官兵衛さんは随分と元気になりました」
「・・・・俺だけじゃないよ」
「え?」
殿が傍にいたから、官兵衛殿は中身を失わなかった。失いたくない物がまだあったから」

半兵衛が柔らかく笑う。
昼の日差しのように温かな光。照らされて浮き出た影すら、優しく包み込んでくれる。

「俺は中身のある官兵衛殿に惹かれて今に至ってる。だから殿だって偉い、ワケ・・・・」
「今孔明様にそう言われると、なんだかくすぐったいですねえ」
「・・・・・・」
「・・・半兵衛さん?」

半兵衛はもう寝息を立てている。なんとまあ寝つきの良いことか。は溜め息を吐く。
今の言葉で、どれだけ自分が救われたか。
膝の上ですやすやと眠るこの男は気付いているのだろうか。

「・・・・・もう寝ているのか」
「あ、おかえりなさい」

厠から戻った官兵衛が足音もなく現れる。手に持った盆には人数分の茶と茶菓子。
零さないように慎重に半兵衛をまたぎ、官兵衛はの隣へ座る。
黙って突き出された湯飲み。礼を言って受け取ってもやはり返事はない。
本当に、不器用な人だ。なんだか可笑しくて笑えてくる。
官兵衛はそんなを横目でちらりと見た後、膝の上の半兵衛に視線を下ろして口を開く。

「何の話をしていたんだ」
「気になります?」
「別に」
「いつもどおり素直じゃないですねえ、官兵衛さん」

自分を拾ってくれたあのとき。この命は主に預けると決めた。
闇の中光を求めて彷徨う彼の、道標でなくとも良い、歩みを助ける杖になりたかった。
もう一人の、たまらなく大切で、たまらなく好きな人。

「このままずうっと、こうしていられたら良いですねって話をしてました」
「・・・・それは卿ら二人でか?」
「もちろん官兵衛さんも一緒ですよ」
「・・・・・・・・・・」
「三人一緒に日がな一日昼寝する毎日なんて、素敵だと思いません?」
「お断りだな。そんなに昼寝ばかりはしておれん」
「ノリが悪いですねえ。そこは我ら三人はいついかなるときも心は一つ!とか気の利いたこと言えないんですか?」
「悪いが期待には答えられそうもない」

茶菓子に手を伸ばして口に放り込んでみれば、上品な甘みが広がる。
横で茶を啜る官兵衛はいつもの淡々とした口調を崩さずにただ一言。

「・・・まあ、それが泰平の世というものなのかもしれんな」

昼の日差しを見つめ眩しそうに、どこか幸せそうに目を細めていた。

「じゃあ泰平疑似体験ってことで、官兵衛さんもご一緒に」

無理矢理横にならせても、彼は文句の一つも言わない。
寝転んで間近で目が合う。
出会った頃一度だけ目にした、寂しげな、優しい瞳。
目の前のそれは、随分とその頃の色に近くなったような気がする。
三人を包む日差しに身を任せ、はそのまま眠ってしまった。




「・・・・確かにこういう日々も・・・悪くは、ないな」

寝息を立てる二人の隣で、官兵衛がぼそりと呟いた。